この作者のごく初期の小説『日蝕』が芥川賞を受賞し、それを悪戦苦闘して読んだのは、もう20年も前だろうか。
それから年を重ねて、私の読書する体力の衰えは甚だしいが、その分読む力はついたのか、はたまたこの作者の作風が変わったのか、この本は夢中になって読み切った。
子供を脳腫瘍で亡くした里枝、苦しませるだけの治療をしてしまったと苦しみ、夫との気持ちは行き違い離婚して、郷里の宮崎県S市(西都市と思われる)に長男悠人を連れて帰って来るが、そこで父親の死も迎えてしまう。何ともやるせない状況だが、そこで谷口大祐というその町では見慣れぬ男と出会う。この町へ来ることになった身の上話はこの小説の重要な要素で、二人は結婚して花子という子ももうける。ここで、小さく安堵して読み進めると、いきなり大祐が伐採中の事故で亡くなってしまう。
家族とは縁を切ってきた大祐だが、死を知らせないわけにはいかないと、連絡してやってきた兄は一目見るなり「この写真は大祐ではない」と言い放つ。混乱する里枝。3年半のささやかな幸せさえ帳消しにされそうな不安。
そして、里枝は離婚調停で世話になった弁護士の城戸へ谷口大祐ではないとわかった「ある男」の捜索を依頼する。
突拍子もない設定なのだが、城戸の内面を私も共有して、様々なことを感じ考えながら話は進んでいく。
在日であること、死刑制度のこと、過酷な生育環境の者にとっての普通生活の大切さ、などなど。おこがましいようだが、作者の感性は私に近いものがあるのだろう。作者の分身と思われる城戸の心理、考えの細かい描写に引き込まれる。また、文中にたくさんの著名な作家の小説も引用されて、読書の中で次から次と興味が生まれ、賢くなっていくような・・・・
その後の展開は控えるが、大祐と血が繋がってない悠人が、早熟な中学生に育ち、過酷な自分の人生に立ち向かう姿は、この小説を息をつめて読んできた私に大きな息を吐かせてくれた。