茶の湯ワークショップ(その1)

裏千家に入門して40年。決して熱心ではなかったが、途切れることなく稽古を続けて、平成15年には准教授も賜った。

母に師事するぬるま湯の稽古から、3年前に初めて母以外の先生の社中に入り、改めてお茶の楽しさを感じている。そして、自分の技量に対して、少しの自信と多くの未熟さを感じる中、先生の勧めもあり、初心者に手ほどきをすることにした。

初めてお茶に触れる人に、どうしたら興味をもってもらえるか、茶の湯文化普及研究会の「お茶の作法入門」から多くは引用させてもいつつ、私なりに考えてまとめてみた。

 

第1回はあいにくの雨。昨日準備していた花は、今朝になるとしおれていて、慌ててナデシコを切ってみる。昨夜のうちにお茶は濾した。お菓子のいただき方もやるので、干菓子を2種準備したが、まだコロナが終息してないこの時期、お家元からは銘々皿で準備するよう指導が来ているので、結局包装のままで出すことにした。

私自身も、最近あまりやることのない「略盆点前」を何回もさらって準備した。

 

今日の軸は玄性和尚の「今日是好日」

花は半夏生、蛍袋、撫子と縞葦を桂籠に

 

 

 

茶の湯ワークショップ(その1)

 

初めに

私のお茶との出会いは中学生のころ。母が夢中になっていることが不思議で、興味と反発の両方を持ちました。でもその頃は、お菓子の甘さが残った口にほろ苦い薄茶がとても美味しく、茶筅を振って上手く点てられたらそれがうれしい、それだけでした。

そんな私が大学を出た後、裏千家に入門して、飽きることなくお茶を続けてきたその魅力は何なのかを改めて考えてみました。

まず、忙しい毎日を過ごす中で、お茶の稽古の間だけは静かな落ち着いた時間が流れリフレッシュできたこと。初めは、色々な所作の指導が枠にはめられるようで窮屈だったのが、いつの間にか身について、美しい所作に憧れる気持ちになったこと。少し知識が入ると、その奥に伝統や芸術、歴史そして思想の奥深さがあって、学ぶことが尽きないこと。そして、茶会に参加することで、人や道具との「一期一会」を楽しむことも覚えました。

 

みなさんもこのワークショップで少し茶の心得がわかれば、もしかして世界が変わるかもしれません。とは言いすぎですね。

少なくとも、臆せずにお茶を味わう楽しみを得るでしょう。

そして、カッコイイ日本人の立ち居ふるまいが身につくかもしれません。

更に、お茶への興味を持っていただければ望外の幸いです。

 

 

 

【日日是好日】

今、この時間を生きているという現実が最も尊いこと。今という時間、今という現実が良い時なのであると認識して精一杯生きる。その行いが未来を作っていく。毎日が好日なのです。

 

 

 

茶の湯とは?

「茶の湯とはただ湯を沸かし茶をたててのむばかりなる事と知るべし」利休百首より

 

お茶はおいしく点て、おいしく飲んでもらいたい。

それが基本です。そのために、見苦しくないお点前をしようと稽古をして、道具を選び、お茶を濾して準備をします。

その時のお客様を思い描いて道具を考え、茶の湯にふさわしい雰囲気をつくる。亭主の工夫するセンスとやり過ぎない節度とのバランスが要求されます。

招かれる側も、その心遣いをくみ取ってこそ茶の湯は成立するのです。茶の湯は人柄と人柄のハーモニーとも言えるのです。

 

とはいえ、そんな茶席は最終ゴール。

そのための一歩を踏み出してみましょう。

 

 

作法とは何か

茶会というイベントは茶会を催す亭主だけでなく、招かれた客も茶席という舞台に上がり、亭主とともに演じることで成立します。したがって、客と亭主の間には進行上の約束事が必要なのです。

また、他人に不快感を与えないためにも作法は必要なのです。

そのために長い歴史の中で、多くの先人たちが研究した成果が作法で、故に一つ一つの作法には道理があります。その道理も学んでいくことは、文化を学ぶことになるでしょう。

 

はじめに心ありき;心を表現する手段として作法があります。

心のこもらない作法など価値はありません。心のこもった礼は自然に形も美しくなり、あなたの人格のすばらしさを象徴するものとなります。