読書日記その30「白光」朝井まかて著

「花競くらべ」を読んで以来のファンであり続けている朝井まかてさんの新作が出たとのことで、早速購入した。

光のさすアトリエで木綿の着物、たすき掛けで絵を描いている女性の姿のイラストの白っぽいカバーのかけられた素敵な一冊。主人公、山下りんはこのように聖画を描いていたのだろうか。

序章は最晩年、絵を描けなくなって笠間に暮らすただの婆さんとなったりんの独り言から始まる。

 かっては指や爪の間にまで絵の具の色がこびりついていたのに今は土色だと、わたしは少し笑った。近所の者らは誰も知らないけれど、わたしはかつてのロシヤのペテルブルクに留学していたことがある。女子修道院の聖像画工房のいた。そこには、前掛けをつけて絵筆を揮う修道女たちがいた。

 死なば死ね、生きなば生きよ。

 そう心に決めてロシヤに渡ったのだ。あやまちばかりの、吹雪のような青春だった。けれど胸の中には高々と燈火を掲げていた。芸術の道を求めてやまなかったのだ。我を忘れるほどに描き、一日、一週、一年、そして一生を過ぎ越した。

 乳香の匂いがして、夥しいほどの蝋燭の灯が揺れる。聖堂の鐘が鳴り、祈りの声が高く低く響き、やがて空から光が降ってくる。

 わたしはかつて、日本でただ一人の聖像画家であった。

全編を読み終わって、改めてこの序章を見ると、りんの一生が心にしみる。激しい絵を描くことへの欲求。西洋画に触れる手段としての正教会との出会い。

もうひとつの柱として、江戸末期に来日して日本での布教に一生を捧げたニコライ司教の生きざまが描かれている。日本人の精神性や宗教観を否定することなく、信仰を広めていく気高い精神と東北訛りの言葉が魅力的だ。

りんはニコライの骨折りでロシヤに留学することが叶う。しかし、その旅路は過酷でたどり着いた地は経験したことのない厳しい寒さ。その上、りんの描きたかったルネッサンス期のイタリア絵画からは程遠い古めかしい聖画の模写を強いられる。ノヴォデーヴィチ女子修道院の聖像画工房責任者のフェオファニャとも激しくぶつかり、孤立し、精神も肉体も疲弊し、予定を切り上げての帰国となる。

帰国したりん、様々な経験をしながら、自分に求められていたものに気づいていく。信仰のための画、それは躍動する人物画や風景画ではないのだ。それに気づいたとき、りんもハリストスを心から信仰していくようになっていく。

私の正教会の理解度では、このあたりのりんの心情の変化をとらえているか疑わしいが・・・

そして、この時代、歴史的にはロシヤ皇太子ニコライ2世の来日、歓待、そして殺傷事件(大津事件)。その後の日露戦争、ロシヤ国内での騒動、革命、そして正教会の衰退。

そんな歴史を背景に、淡々と聖画を描き続けるりんの後半生。残念ながら早い時期に白内障で絵筆を置くことになるのは甚だ残念。今なら日帰り手術で治療して、まだまだ描き続けられけるのだが・・・日本で唯一の聖像画家であること、女性初の絵画留学生であることを誇ることのなかった、潔い女の一生の物語。