読書日記その34「正欲」朝井リョウ著

「読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説」この文庫本のカバーにある言葉の通り、なんとも重い問いを突き付けられる、それに私は何も答えることができないでいる。できれば知りたくない現実、でもこれを読んでしまったら、そのことを考えないわけにはいかない。

 多様性、という言葉が生んだもののひとつに、おめでたさ、があると感じています。

 自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。

 清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。これは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる”自分と違う”にしか向けられてない言葉です。

 想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほどの嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかりと蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。

プロローグでこんな毒を吐いて始まる、そして、小児性愛者たちが起こした児童ポルノ摘発の事件の特集記事へとうつっていく。

世間の代表ともいうべき検事の寺井啓喜、それに対して、ある時から自分の性癖がほかの人とは異なることに気づいている桐生夏月、その中間的な立ち位置の女子大生神戸八重子、この3人の群像劇。

不登校となった寺井の息子の泰希は同じ境遇のあきらとユーチューブを始めて夢中になるのだが・・・

今の時代、GLTBについては理解されてきているが、何に対して気持ちいいと感じるのかは自分ではどうしようもないこと。そしてその感情が、ほかの人に理解されないとき、静かにかかわりを避けて死んだように生きていく。

いやいや、今の時代はネットを通じて、同じ感情を持つ人とつながりを持つこともできてしまう。

この小説では少しのほころびで事件として扱われてしまったが、マイノリティ4人がとった行動は決して間違ってはいなかったように思われる。

読んでいく中で、最近の事件の数々を思い出す。

社会とつながりのない「無敵の人」が引き起こす無差別殺人、異常性癖による猟奇殺人、女性アスリートへの性的写真撮影等々。

わからない。わからない。そのような人を切り捨てていいのか、どう共存するのか。この小説を読んでしまったマジョリティに属する私は、これからこの問題について問い続けることになるだろう。