先月のNHK「100分で名著」で取り上げられ、今さらの思いでこの本を手に取ってみた。
この小説が世に出たのは昭和51~52年。私が大学で細胞学教室に入って鍛えられていた時期。その頃は柴田翔やサリンジャーを読んでいたかなあ・・・その後もいろんな作家を読み漁っていたのに、なぜかこの人のだけは読まず嫌い。読み終えた今は、無意識に避けていたことを深く反省している。
「青い壺」と聞いて、私の中では人間国宝井上萬二さんの青磁の大きな壺を思い描いた。小説の中の壺は経管と言われてるお経を納める円筒形の花瓶だったが、青磁ということで格調高いものであることはわかる。それが、窯から出されるところから話は始まる。作者省造本人も惚れ惚れとする出来栄えで、妻治子と縁側で冬の日差しを浴びながら喜びに浸る。しかし、そこにやってきた道具屋は褒めながらも情け容赦のない要求を持ち出す。結局、この見事な壺は作者を名乗ることなくデパートのショーケースに収まることになる。そして、この壺にまつわるたくさんのドラマが紡がれていく。
第2話は定年退職した老夫婦の話。退職した亭主と妻の「あるある」の話が展開されて、元上司にお礼の品としてこの「青い壺」が渡される。第3話はその上司の家庭へ。華道を嗜む妻が活けにくいこの壺に挑んでいるが・・・
第4話は失明した母親を取り巻く物語。同じように緑内障で失明した母をもつ私としては冷静には読むことが出来ない話。
一見「青い壺」とは関係なさそうな話が、読み進むうちにこの壺が現れて、人の手に渡って行く。美しく存在感のあるものだからこそ、真心を表すお礼の品として使われたり、見たくもないものになったり、盗まれたり、そして10年の時を経て、再び省造の目の前に現れる。
50年前の話とは思えないエピソード。退職した夫婦のやりとり、老いた親をめぐる姉弟のかけひき、女が仕事をするということなど。
逆に50年前だなあと思わせるエピソード。大奥様や大邸宅の存在、70才での老人ぶり、旅行の時の現金の準備、病院を受診することのハードルの高さなど。
それにしても、たったひとつの花瓶からこんなに話が広がって、今度はどこに「青い壺」は・・・とワクワクしながらも
、ちょっと昭和に戻った楽しい1週間だった。