植物好きな我らが師、牧野富太郎の奇人才人ぶりを余すところなく描いた一代記「ボタニカ」
高知の裕福な家に育った「岸屋の坊」富太郎。幼いころから、野山の草花とは友達のように、呼びかけまた呼びかけられ、この大好きな友達のことをもっと知りたいと、その欲求は留まるところを知らない。例えば
北側に開けた斜面まで歩いて、また見つけた。斜面いっぱいに小さな白い花が幾千と群れて揺れている。
「やあ、咲いちゅう、咲いちゅう」
駈け出せば、胸の内が鳴り始める。去年の春にこの群落を見つけて、ずっと待ち遠しかった。この景色を思いうかべるだけで、手足がわいわい動いてしまうほどに。
そして、この白い小さな花を勝手にバイカと呼んで、花の観察へと・・・・
さらに注目して、そして大人みたいにうなった。花の中心が、またずいぶん凝った作りだ。去年はこんなことに気づかなかったので、また「へえ」と洩らした。芯には細長い緑の実のようなものが何本もぎゅうと集まっている。その周りに、白い棒が矢車のように何本もつき出ているではないか。さらにその間には、あざやかな黄色の、盃に似た形の頭をした棒も花いっぱいに開いている。
「面白いなあ」
薬草観察をしている私たちも経験のある一場面だ。小さな花をよく見ると、思いもかけない緻密な造形に驚かされることがしばしば。
富太郎は更に
富太郎はまた袖で鼻の下をぬぐった。バイカの白花に向かって両膝をつき、「なあ」と斜めに頬を寄せる。
「おまんも名乗りを上げてや」
なんで?
「わしは本当のことをしりたいんやき。おまんの、まことの名ぁを知りたい」
うちの名ぁをつけるのは、おまんさんら人間じゃ。
「そうか。ほんなら、名ぁつけた者に訊けばええがか。そのひと、どこにおる?どうやったら会える?」
さあ。
ふううと富太郎は立ち上がり、空を仰いだ。
「なあ、わしは知りとうてたまらんがじゃ」
総身にうんと力をこめて声を張り上げる。
「名ぁだけやない。なんで草は季節になったら土を割って芽ぇ出して、そうと思いよったらたちまち葉っぱを開いてつぼみをつけるがか。花はなにゆえこうもいろいろな色や形をしちゅうがか、グルグルはなにゆえああも渦巻いちゅうがか、わしは知りたい。この山の草木だけやないき。春日川や城山も、越智村の横倉山におる連中のことも知りたい。知りたい」
真実が持つ、その揺るぎない輝きに触れたい。
この情熱が一生続くことが、富太郎のすごいところ。
幼いころ両親を亡くした富太郎。だが岸屋の跡を継いだ祖母は、富太郎の向学心、好奇心を削ぐことなく育てていく。
私塾で学んだ富太郎は正規の学校の授業はまったく物足りなく、学歴はないまま。それでも義務教育となり、教員が不足する時代、彼が教鞭をとることとなる。
その間も、ブリキの胴乱をガチャガチャいわせて野山を巡り、植物の採集、標本づくり、観察してのスケッチは休むことなく続け、また仲間もできていく。
植物を調べるために必要な書籍は片端から購入し、学ぶにつれて、「日本人の手で、日本の植物相(フロラ)を明らかにする」の思いで上京する。
東京では本草学、植物学のそうそうたるメンバーに出会い刺激を受け、研鑽を重ねていく。彼の知識とバイタリティーはどこでも認められ、東京大学理学部植物学教室への出入りも認められる。そして、ロシア人の植物学者マクシモーヴィチ氏に直接標本を送り、やりとりを重ねるうち、「セダム・マキノイ・マキシム」と牧野の名前を冠する新種を発見するという快挙を成し遂げた。
その後も、研究雑誌の刊行など目覚ましい成果を上げていくが、突如として大学を出入り禁止に。
それを資金面で支えた岸屋も祖母の代から嫁の猶の代へ。代はうつっても支え続けた家も、とうとう立ち行かなくなってしまう。
標本の保管に必要な広い家、研究に必要なものには後先なく購入し続けての莫大な借金。それを逃れるための度重なる引越。
恋女房壽衛の支えで、貧苦にも学会との軋轢にもめげず、ひたすら知の種(ボタニカ)を極め続けた。
終戦から三年後の昭和二三年、富太郎は皇居に参内した。
天皇にご進講をとのお召があったのである。
(略)
「このままあまり手を入れ過ぎない管理になさいますと、武蔵野の本来の姿が戻ってまいりましょう」
「そうか」
陛下はつと足を止め、富太郎と並ぶ格好になった。二人で、遠くの林の景を眺めた。
「本来が、戻るか」
「畏れながら、修正申し上げねばなりますまい。正確には、戻るというよりも巡るのです。自然も生命の集合体でありますから、決して元には戻れません。巡りながら遷移し、次の時代へと進みます」
「そうか」
陛下は興深げにうなずき、眼鏡の奥の目をしばたたかせた。
秋陽が流れの水面を照らし、点在する小さな湿地では鳥が水浴びをしている。ご進講を終えると、陛下が「あのね」と真正面に立たれた。
「あなたは国の宝だよ。だが老齢なのだから無理をしないで、躰をいたわってね。もっともっと長生きをしなさい」
この時八七才の富太郎、死ぬまで植物にまみえての一生だった。
また朝がくれば、万花が思い思いの色と形と匂いで鳥や蝶、蜂を呼ぶ。富太郎も馳せ参じる。大声で喋り、笑い、葉と抱き合う。浮き浮きと寝転んで、跳ね起き、走る。降っても晴れても草まみれだ。林を抜け、山を踏み越え、川を渡る。風が靡く。
惚れ抜いたもののために生涯を尽くす。かほどの幸福が他にあるろうか。
この胸にはまだ究めたり種(ボタニカ)が、ようけあるき。
ゆえに「どうにもならん」と「なんとかなるろう」を繰り返している。
富さん、ほら、ここよ。
富さん、私のこと見つけてよ。
一緒に遊ぼうよ
私たちが薬草観察をした後、その植物を同定するのに欠かせないこの「牧野和漢薬草大圖鑑」
スケッチの美しさと細部の記述、そして記載されている植物の数の多さ。
牧野富太郎という人は、どうしてこれだけの仕事ができたのか不思議で仕方がなかった。
その謎が少し解けた。
それにしても
「富さんとの植物観察の旅はさぞや楽しかったろうなあ・・・・」