飛騨の旅(その1)

GWを使って、約半世紀ぶりに飛騨神岡へ行ってきた。

かつて通った小学校跡に車をとめて、古い記憶をたどりながら狭い道を歩いていくと・・・
なんと、私の家がそのままの形で残っている!!
ああ、下の段のこの家は初恋の○○さんが住んでいた家・・・
その一画、6件の社宅が、忘れ去られたように昭和42年当時のままで・・・・

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高原川の方へ歩いてみる。あの頃のようにきれいな早い流れで赤い藤波橋が美しい。夏休みには、この橋の下で泳いだことを思い出す。
神岡町が、鉛鉱山でにぎわっていた昭和40年代に、たった1年足らず暮らした私。短いが故に、思い出も濃縮されている。

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その後、鉱山は閉山となり、それに伴い人はいなくなり、昭和の匂いを残したまま、急速冷凍されたように町が残った。そして、平成の大合併で飛騨市となった。

その鉱山の坑道を利用して作られた東大の研究施設スーパーカミオカンデから小柴、梶田の二人のノーベル賞受賞者を出したことは、神岡に所縁のある者としては誇らしい。
道の駅では、そのレプリカを見ることができた。

思春期の家そのままに揚げ雲雀

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