南米紀行その2(マチュピチュ)

1月27日、ラタム航空でリマからクスコの街へ。

クスコの標高は3300mで、恐る恐るゆっくり歩いて昼食のレストランへ。

すてきなお店だけど、いきなりの高地でめまいがする。勧めらられたコカ茶でちょっと一息。

 

 

メニューの「アヒ・デ・カジーナ」は言わばペルーのカレー。この黄色はターメリックではなく、お約束のAji(アヒ)。あまりに美味しかったので、後にスーパーでレトルトを見つけて買い込んでしまったほど。

 

昼食後はバスでオリャンタイタンポへ。ここで列車に乗り換えてマチュピチュ村を目指すわけだが、スーツケースは持ち込めないので、2泊分の荷物だけ持って、スーツケースの方はインカの谷へ先回り。

列車は雨季で増水したキラキラ光るウルバンパ川に沿って走る。車内ではサービスのインカ茶を飲みながら、マチュピチュでの自由時間の過ごし方を考ているうちに到着。お土産物屋さんが軒を連ねる通りを抜けてホテルへ。高度も2500mとなり、みんな元気を取り戻した。小さい雨が降り出した。いよいよ明日はマチュピチュ遺跡!!

「お天気になりますように!!」

 

 

28日

昨晩の激しかった雷雨もやんで、少し晴れ間も見える中、バスで細いつづら折りの山道を約25分。

この坂はビンガムロードと言われており、1911年にマチュピチュ遺跡を発見したハイラム・ビンガムに因んで名づけられたそうだ。

バスを降りると遺跡の入り口。すぐに急な石の階段が続き、トレッキング気分でご満悦。周りはシダ類が多く、立派なトカゲもウロチョロ。ツアーの仲間にはこの山登りに悪戦苦闘している人も。

 

 

目の前が開けた瞬間に!!

 

 

まさに、息を吞む光景です。

こんな険しい山の中に、これだけの規模の街があり、そして完全に廃墟となっている。

向かいの険しいワイナピチュ山を望遠レンズで覗いてみると、頂上近くまで畑があり倉庫のあとも見られる。

 

谷の方はとのぞき込むとその険しさがわかる。ああ、思わず足がすくむ。

 

 

さあ、いよいよ市街地の中へ。

 

市街地入り口

 

太陽の神殿

 

石切り場

 

これだけの技術がありながら、なんで廃墟になってしまったんだろう?

ガイドのカルロスさんから、インカの宗教についても聞くことができた。

空、地上、地下の3つを表すチャカナと呼ばれるインカのシンボルのこと、空はコンドル、地上はピューマ、地下はヘビが象徴で、「嘘をつくな、怠けるな、盗むな」という3つの教えにもつながっていると。

 

ゆっくり遺跡の中を巡って、まわりの花も楽しみながら出口へ。

 

 

 

遺跡の保護のためチケットは予約制で、1日、それも午前と午後で人数制限があり、必ず公認ガイドをつけることも求められている。というわけで、これにて午前の部終了で遺跡の外へ。

でも、これだけ入場者をコントロールしていることで、快適に見学ができたし遺跡を傷めることもないだろう。保護が問題となっている観光資源では大いに参考にできると感じた。

 

遺跡近くで昼食をとって、「さあ!!午後の部」

日差しも強くなってきたので日焼け止めを塗りなおして、インカ道をインティプンク(太陽の門)へ。

段々畑の横の石畳のゆったりとした上り坂。リャマが草を食べている。ペルーにはアルパカとリャマ、ピクーニャと3種の山羊がいる。本来リャマは荷物の運搬用として飼われていたそうだが、ここのリャマは観光用と芝生の管理人を兼ねてかわれているらしい。

 

 

ビンガムロードもよく見える。

 

 

約1時間歩いて到着!!

 

 

この道はウルバンパ川沿いにオリャンタイタンポ、更にクスコまで続くインカ道。

インカ道トレッキングでマチュピチュに入る人が、最初に遺跡を目にするのがこの場所。ゆっくり登るので感じなかったけれど、実はワイナピチュ山より高いらしい。

次はインカ道トレッキングでマチュピチュに入りたいものだ。

 

 

心地よい疲れで帰途に就く。ホテルに着いた途端に激しい雨が降ってきた。

「パチャママ(大地の神)が守ってくれたのか・・・・」

思わずそう信じたくなる夢のような一日だった。