読書日記その24「海神の子」川越宗一著

直木賞受賞作「熱源」で圧倒された川越宗一の受賞後第一作は「国姓爺合戦」の鄭成功の物語だと知り、早速読んでみた。

「国姓爺合戦」は日本史で出てきてタイトルだけは知っているし、歌舞伎でも一度観てはいるものの、もう一つよくわからない。歴史的背景や人々が熱狂した訳を知るいい機会だ。

前半は母松の物語。江戸時代初期、まだ長崎や平戸にオランダやイギリスの商館があり、対馬海峡にはたくさんの商船が往来し、そして海賊が跋扈していた。早くに両親を亡くし親類夫婦にこき使われていた15才の松は、ひょんなことから明人の海賊顔思斉の仲間となる。2年ほど船戦さを生き延び、背中に野太刀を背負って、誰よりも先に敵船に乗り移り、ひとり斬る、一番槍まがいの役目を引き受けるまでになった。

そしてのちに父となる飛黄の登場。松のことを船乗りの女神「マーツオ」と呼び、策略で力をつけていく。その過程には連合東インド会社の社員のレオ・コープが登場し、フォルモサ島(台湾)に異動になったことを伝える。

 

「私にもささやかだが志がある。吾が民が自由に暮らせる場所を、どこかに作りたい」

「吾が民。オランダ人かい」

「ユダヤ人だ」

答えたコープの顔の青さは月光のせいだけではないように松には見えた。

「きみらが企みを仕損じたらフォルモサ、いや台湾島へ来たまえ。ついでにそのまま手伝ってくれると助かる。私は志を台湾島で成就させようと思っている」

「台湾にも、もう人が住んでいるだろ。その土地を奪うのか」

松は思わず割って入った。

「きみの声を初めて聴いたな」

コープは笑ったが、どこか寂しげだった。

「海はいい。陸に約束の地を信じる私も、そう思うことがある」

では行く、と添えてレオ・コープは板を渡っていった。帰る、とは言わなかった。

 

これが、この本の最後、鄭成功の終末で繋がっていく。

 

飛黄との間に子を宿した松は平戸の田川七左衛門とマツの世話で福松(後の鄭成功)を生む。ふたりの世話で育つ福松だが、船へと戻った松には大きなできごとが・・・・

 

 

恐らくここまでの部分は完全なフィクションなので、それぞれの人物が魅力的でダイナミックな話に引き込目れてしまう。海賊の戦は凄惨だが、そこでしか生きられない男たちは切ない。そして、そんな彼らを受け入れたうえでクールにふるまう松がかっこいい。

 

成長した福松、後ろ盾だった七左衛門を失い、漢人の血が入っていることでの居心地の悪さを感じていた。そんな時、今や鄭家の甲螺(最高実力者)となりこの海域随一に勢力を拡大した松が立ち寄った。その松について平戸を後にし海へ出る。そこでは御曹司の扱いながら、裏で日本人の血が入っているゆえ夷(イー)と蔑まれるなか、甘輝(カンツイ)と施郎(シーロン)という生涯の友を得る。

一方、腐敗した明に対抗して満州人の清が頂上を超えて北京に迫って来る。明から将軍の地位を受けている鄭家、明が瓦解すればどうなるか。ここからは、大部分が史実に基づいたものであろうが・・・・・

 

母親とも袂を分かって明の再興を目指し、鄭成功という名を受ける福松。海の戦で何とかと奮闘する彼の傍らには甘輝と施郎の二人がいたが、時に利なく次第に退却。また、鄭家と他の海賊たちを完全に掌握する力を持っていなかったのか、だんだん追い詰められていく。

「ほかに居場所のない者たちが居られる場所をつくる」という彼の大義名分も、果たして共有できていたものか・・・

最後に台湾に渡り、熱狂的な歓迎を受ける中で病没する。

 

後半部分は納得できないことが多い。夷と漢人以外の民族を蔑視するなら、なんで易々と清の支配を受け入れたのか。長年の支配で腐りきった明は賞味期限切れで倒れるしかなかったのか。

 

時代の変わり目に突如現れた英雄鄭成功。彼の残したものは・・・・・

私にはわからない。