何だろう。読み終えたときのこのたまらなさは。
アイが愛おしい!! ミナと同じようにアイを抱きしめてあげたい!!
アイはシリアで生まれ、物心つくまえに養子としてアメリカ人のダニエルと日本人の綾子夫婦の元へやってきた。小さなころから自分を尊重してくれる両親に、ニューヨークで裕福に育てられる。でも、自分の出自の特異さから、事件で死亡者が報道されるたびに、それがなんで自分ではないのだろうと考える。
両親に聞いた養子のシステムでは、子どもを選ぶことは、両親に課せられてはいなかった。両親は養子縁組をあっせんする団体に登録し、縁があるのを待ったのだと言った(5年だ!)。送られてきたアイの写真を見て、すぐに「この子は私たちの子だ」と、そう思ったそうだ。
でも、なんらかの段階で私は選ばれたのだ、アイはそう思っていた。両親が選んだのではなくても、養子縁組団体が私を選び、恐らく過酷な状況から両親の元へ送り出したのだ。
選ばれた自分がいるということは、選ばれなかった誰かがいるということだ。
どうして自分だったのだろう。
どうして。
恵まれた部屋、恵まれた環境、恵まれた自分の命のことを思うと、アイは感謝するより先に苦しんだ。聡明なアイはその聡明さゆえに傷ついたのだし、その聡明さゆえ、自分の「本当の両親」について決して知ろうとしなかった。
また、ニューヨークの個性を重んじる社会から日本に移り住んだ中学1年生のアイはこう感じる。
あらゆる人種のあらゆる個性が集まる場所で、アイはいつも怖かった。自分が何者でもないことを突き付けられ、それは孤独になった。
(略)
日本では「みな同じ」だった。
すべてを一様に決められると、おのずから考えることがなくなった。それがアイにはありがたかった。没個性を肯定される世界では、自分のことを何も考えずに過ごしてゆくことが出来た。
だが、その安堵も、長くは続かなかった。
孤独の代わりに訪れたのは疎外感だった(限りなく孤独と近いが、違うものだ)。あらゆる個性の中でひとりであることと、限りなく「同じ」人間たちの中で、自分が圧倒的に異質であることは違った。
こうして、アイは本当の友人もできないまま、まるで客人として静かに学生生活を送る。
その間、世界ではたくさんの悲惨な出来事が起こる。
2001年9月のワールドトレードセンターへの航空機激突。そして米英機によるアフガニスタン空爆。アイはひとり胸を痛める。
そんなアイは勉強そのものにのめりこんでいき、当然成績はよかった。高校は進学校へと進み、そこで最初に覚えた
「この世界にアイは存在しません」
この言葉は、アイの胸に居座り続けた。そして、いつしかアイにとって歪んだおまじないのようになって繰り返す。
この後、ミナと出会い、かけがえのない友人となっていく。その一方、アイは数学に没頭する。そして、両親の家族をみては、その大きなファミリーツリーに圧倒され、自分はこれに属してないと考える。
スマトラ島沖で起きた地震でたくさんの死者が出た。アフリカでは内戦が、アフガニスタンでは空爆が続き、毎日たくさんの人が死んでいる。この頃からアイは。死者の数をノートに書き込むようになり、たちまちそれに夢中になった。
人種の、そして性の多様性、家族の形、血のつながり、そして個性を重んじることに偏重する教育の是非、貧富の格差、不妊治療、そして世界で起こっている様々な不幸な出来事
このように、小説の中で、こんなにもたくさんの残酷な現実を突き付け、それらに苦しみ考えるアイ。そしてアイという繊細な少女の成長を通して、私達読者にも、考え対抗する力を考えさせてくれる、そんな小説であるように思う。